コラム(詳細)

第179回「土地神話の崩壊」

2019.09/04

経済レポート2729号[平成31年3月19日]掲載

  1. はじめに  新元号(改元)まで、あと2ヶ月と迫りました。そこで、温故知新、平成時代を振り返って、最も衝撃的であった「土地神話の崩壊」を取り上げます
    前回は、土地神話の誕生について触れましたが、昭和60年のプラザ合意を契機とした、金融緩和等を背景に、土地価格は急激に高騰し、バブル経済に突入することとなります

    地価は、昭和60年3月末からピークとなる平成3年前後までの間に、全国の商業地、住宅地、工業地は約2倍、六大都市の商業地は約4倍、住宅地、工業地は3倍弱の水準にまで高騰しています
  2. 地価高騰の弊害 バブル景気を謳歌していた日本ですが、次第に次の様な地価高騰の弊害を指摘する声もあがってきました。①持てる者と持たざる者の資産格差の拡大(不公平感や勤労意欲の低下等)、②相続税の増大、③住宅取得の困難化(首都圏のマンション価格は年収の約8.5倍等)、④通勤距離の拡大、⑤公共用地取得費の増大、⑥「地上げ」や「土地転がし」の横行による社会問題。その外にも財テクブームもあり、不動産屋との異名をとった芸能人やスポーツ選手まで現れました
    作家の司馬遼太郎氏は、田中角栄の列島改造ブームの頃から、「戦後社会は倫理をふくめて土地問題によって崩壊するだろう」と看破しており、土地公有化論を唱えています。また、NHKの5夜連続の特番「地価は下げられる」シリーズは、当時大きな反響を呼びました。
  3. 不動産バブル崩壊  この様な、当時、行きすぎと思われた地価を沈静化させることを目的として、平成2年3月、大蔵省が金融機関に対して通達した(行政指導した)、不動産業向け融資の総量規制をきっかけに、公定歩合の引上げ、税制改正等とあいまって不動産バブルは崩壊することとなります。当時を振り返ってみますと、不動産バブルは自然と崩壊したのではなく、地価の引下げ策を展開することによって、人為的に(政策的に)バブルを崩壊させた(ソフトランディングに失敗した)と言った方が正確かもしれません
  4. 最後  銀座4丁目交差点付近の1坪あたりの地価は、明治5年に5円、大正2年に5百円、昭和6年に6千円、昭和36年に360万円、昭和56年に3千万円、平成3年のバブル絶頂期に1億8千万円となりました。明治から大正にかけて約100倍、昭和の初期からバブル絶頂期にかけて実に3万倍となっています。その後、バブル崩壊に伴っていったん大きく下落したものの、現在ではバブル絶頂期を更新し、過去最高の水準にあると目されています
    それでは、現在の銀座4丁目の地価はバブルでしょうか

    バブルとは何でしょうか?かつては、よく、地価と自国の名目GNPの開差がバブルであるといった定義づけがされていました。バブル時、日本全体の地価の合計はアメリカ全体の4倍の水準にあったといわれています。ところが、現在の東京の地価は、ニューヨーク、ロンドンはもちろん、香港、シンガポール等に比べても割安の水準にあります。不動産の金融商品化や国際化の進展の結果、今や国境の壁を越えて国際的な観点から、価格決定が行われているといっても過言ではない状況にあります

以上

参考文献
・『日本の土地百年』 日本の土地百年研究会 平成15年
・『土地と日本人』 司馬遼太郎 昭和55年

 

〒730-0013  広島市中区八丁堀7番2号

株式会社 小川不動産鑑定

代表取締役 小川 和夫
(不動産鑑定士)

TEL:(082)222-2253  FAX:(082)222-2254